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(新潮選書・1155円)

 ◇「心情による愛」の歓びと嫉妬のオペラ

 十八世紀好きの一族がいる。たとえばイギリスのブリジッド・ブローフィ。彼女はリスボンを論じてこんなことを言う。「もしも地震がなければならないなら、一七五五年が絶好の年だ。再建するとき、花ざかりの十八世紀都市が手にはいる。それが起ったのがリスボン」。この作家は『劇作家モーツァルト』(一九六四)の書き出しでこう述べる。「わたしたちの世紀の誇りはモーツァルトを認めたことだけだ」

 熱烈なそして才能の豊かなモーツァルティアン岡田暁生(あけお)が、十八世紀の子としてのモーツァルトに注目するのは当然のことだ。「一七五六年に生まれ、一七九一年に没した彼が生きたのは、カントやゲーテやシラーに象徴される新しい市民社会の夜明けが、ラクロやゴヤやサドといった旧体制(アンシャン・レジーム)末期の暗黒や官能とせめぎあっていた時代だった」という具合に。彼は十九世紀の作曲家のように世界の救済者を自負して形而上学を論じたりはしなかったけれど、彼の「軽やかさには、引き裂かれた時代の割れ目が刻印されていて、その幸福も、官能も、優美も、絶望も、すべてこの割れ目から鳴り響いてくる」と。そこで岡田は、エロティシズムという切り口からモーツァルトを、特に彼のオペラを考えてゆく。

 モーツァルト以前のバロック・オペラは主流がオペラ・セリアで、(1)対立の不在(主役を歌うのはカストラートとソプラノで、声域の点で男と女の区別があまりない)、(2)出会いの不在(ほとんど一人で舞台に登場し、一人でアリアを歌い、一人で退場する。対話はレチタティーヴォすなわち歌うより語るほうに重きを置く唱法でかわされるだけ)、(3)感情の多義性の不在(喜怒哀楽は幾何学的なくらい記号化されている)を作劇術の基調とする。感情の表現は紋切り型で、起伏が乏しかった。十七世紀は幾何学的な堅い心性の時代であったが、それと呼応するように、十八世紀までのヨーロッパでは恋愛結婚は習俗として確立していなかった。

 宮廷の遊戯愛でも、プラトニック・ラヴでもない、心情による愛を結婚の前提とする考え方は十八世紀初頭のイギリスで生れ、ドイツでは十八世紀半ばから勢いを得る。モーツァルトが心情による愛と結婚を求めたことは有名だが、彼はこの新しい恋愛観のもたらす歓(よろこ)びと嫉妬(しっと)の苦しみを題材にして、あの清新で豊かで多彩な四大オペラを作った。オペラの作曲家としての寡作も、台本を選び、積極的に口を出したのも、このせいだろう。そのへんの事情をリブレットと作曲の双方からこまやかに探ってゆく論じ方は読みごたえがある(たとえば『フィガロの結婚』第四幕の分析)。わたしは小林秀雄の『モオツァルト』(一九四七)が器楽中心でオペラを軽んじ、ただただロマンチックで十八世紀に対し無関心なのにあんなに耳目を聳動(しょうどう)したという文学史的事実を思い浮べ、ついにこの俊秀の論を得たことをわが音楽批評の成熟のしるしとして喜んだ。

 しかし賞揚と讃嘆にもかかわらず、書き添えて置かなければならない不満もある。岡田暁生は、四大オペラのエンディングがいずれも曖昧(あいまい)な味わいである(たとえば『ドン・ジョヴァンニ』は凄(すさ)まじい地獄落ちのあとに味気ないハピー・エンディングが訪れるし、パートナー交換のドラマ『コシ・ファン・トゥッテ』の使嗾者(しそうしゃ)アルフォンソは二組のしあわせな男女の仲をずたずたにしたくせに平然としている)ことに注目して、こんなふうに何かすっきりと割り切れない感じで終るのは、むしろ長篇小説(それは十九世紀において劇に代る支配的ジャンルとなった)の方法だと言う。ドラマは本質的に、幕が降りたとき世界が完成し完結することを求めるが、しかし神や王を持ち出すことができなくなったとき、真の終止符は打てるのか。そこで十九世紀の長篇小説はエンディングを保留する。それゆえモーツァルトのオペラにおける「フィナーレの非フィナーレ化」は「オペラの小説化」と見立てることができるというのである。

 卓抜な着想だと推奨してもよかろう。しかし典型的な十九世紀小説には果してフィナーレはないものかしら。わたしは岡田と違って「小説はいつまでもだらだらと書き続けることが出来る」とは思っていないし、それに何よりもディケンズやバルザックやトルストイの名作を思い浮べて小首をかしげてしまう。たぶん彼らは「神の死」を予感しながら、しかし小説的世界の始めと半ばと終り、起承転結の構造を信じていたのではないか。

 などと疑問は呈するものの、モーツァルトのエンディングに共通する異様な性格についての指摘には同感し、よくぞ気がついたとその透視力に感服する。そこで思い出すのは、ジョイスの『ユリシーズ』を代表とする二十世紀小説のオープン・エンディング(読者に自由な解釈を許す終り方)だ。ひょっとするとモーツァルトのオペラは二十世紀小説の方法の予兆であったのかもしれない。

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