◇出生の秘密めぐる2家族の明暗
子どもの出生にまつわる重大な秘密を鍵として、その秘密に翻弄(ほんろう)されながら、それぞれの運命を生きる一人一人のドラマが交錯する。各章を短篇小説のように濃(こま)やかに描きつつ、時間軸に沿った本流のストーリーを重層的に展開してゆく。これは『源氏物語』のスタイルと似ている。
罪、偽り、愛と孤独、悲しみといたわり、さらに自然と人生の季節。両者に共通するテーマは多くあるが、おそらく最大の共通テーマは、「時間」であろう。小説『メモリー・キーパーの娘』には、二十五年の歳月が流れている。各章のストーリーを「二十五年という長い年月に編みこんでいくことによって、大河のごとく大きくうねる骨太でダイナミックな物語を生みだした」と、訳者は記す。また、「“物語を味わうこと”は時間の流れを評価することにほかならないと感じた」とも。「時間」は何を持ち去り、そして何をもたらすのか。
一九六四年のある大雪の夜、医師デイヴィッドと妻ノラに男女の双子が誕生する。女の子はダウン症だった。妻を悲しませたくないため、彼はとっさに娘を施設に預けてほしいと看護師キャロラインに頼み、妻には死産だと告げた。しかしキャロラインは、その子フィービをみずから育てる決心をして、レキシントンからピッツバーグへ移る。
怖ろしい秘密を共有してしまうデイヴィッドとキャロラインの不思議な絆(きずな)は、実ははじめから用意されていた。
ある晩、彼はデスクでうたたねをしてしまった。子どものころに暮らした故郷のわが家の夢を見ていた。(中略)目が覚めてデスクから顔を上げたとき、瞳には涙があふれていた。そのとき、戸口に立った彼女がやさしげな表情を浮かべてこちらを見ていたのだ。(中略)心のどこか深い部分でたしかに彼女を理解したような、おたがいすべてわかりあえたような思いにとらわれた。
人と人とのひそかな心の交流が、しばしばこんな瞬間からはじまることを、わたしたちは確かに知っている。
デイヴィッドとノラと息子ポールの家族。キャロラインとフィービと二人を支えるアルの家族。二つの家族に二十五年の歳月が流れる。愛情から生まれたはずの秘密ゆえに壊れてゆく家族と、その秘密を引き受けたことによってかけがえのない愛情を育(はぐく)んでゆく家族。二家族六人の二十五年を見守りながら、愛と孤独について考え、人生と幸福について思う。
高く透きとおる彼女の声は木の葉の合間を縫い、陽射しをすりぬけて流れていく。砂利に、草叢(くさむら)に、ぶつかって弾ける。水に小石を落とすように宙で音符が弾むと、見えない水面に波紋が広がる。音の波、光の波。父はすべてを固定しようとしたが、世界はつねに流れ移ろい、留めることなどできない。(中略)やがてフィービがゆっくりと身をかがめ、スカートの皺(しわ)を伸ばした。そのごくありふれたしぐさで、世界がまた動きだす。
最終章の兄妹の場面がとても美しい。「時間」は留めようとするものを持ち去り、しかし「時間」はまた新しく世界を動かす。
そういえば、もうひとつ『源氏物語』と似ているところがある。それは、長編小説ならではの圧倒的な迫力、である。(宮崎真紀・訳)
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