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◇池内紀(おさむ)・評

 (学研M文庫・1365円)

 ◇選び抜かれた引用のみごとな集成

 アドルフ・ヒトラーは二十世紀が生み出した「妖怪」だった。おそろしく謎にみちた人物である。当然のことながらヒトラーをめぐり、また「第三帝国」と称したナチス・ドイツをめぐって無数の本が書かれてきた。

 ここでは「厳選220冊から読み解く」とうたってある。一冊ごとに三頁(ページ)をあててエッセンスが紹介してある。ヒトラー早わかり。手っとりばやくナチス・ドイツを知るための「あんちょこ」--。

 いや、ちがう。そうではない。まるきりちがうのだ。この「厳選」には特別の意味がある。220冊は背後に十倍、二十倍もの膨大な書棚を控えてのこと。三頁の要約があざやかに元の本を代理している。本文七百頁は、選び抜かれた220冊分とひとしくズシリと重い。

 著者の阿部良男氏は研究者でも歴史家でもない。神戸在住の一人の銀行員であって、定年まで実直に勤め、現在は閑職に身を置いている。軽い脳梗塞(こうそく)から回復したばかり。

 銀行勤めのかたわら、自分の興味の赴くままにヒトラー関連の文献を集めてきた。定年まぎわに『ヒトラーを読む3000冊』を刊行。そののち『ヒトラー全記録 20645日の軌跡』(二〇〇一年)を著した。

 とりわけ『全記録』は瞠目(どうもく)すべき本である。ヒトラーの誕生から死までを、クロニクル(年代記)のスタイルで歴史的事項の注釈を組み合わせながらたどっていった。研究者でも歴史家でもないからこそできた大仕事であって、いかなる学説にもイデオロギーにも惑わされることなく、公平無私な目で歴史が再現された。そこからナチス・ドイツが呪うべき合理性のもとに成立したことが、ありありと見えてくる。

 その上での「厳選」なのだ。エッセンスのまとめ方、選びとられた引用がみごとである。

 「ヒトラーは臆病(おくびょう)で総統などという柄じゃない」(ハリー・ケスラー『ワイマル日記』)

 ケスラーは当代きっての知識人であって、その日記は両大戦間の貴重な証言である。ヒトラー政権誕生の日の「唖然(あぜん)たる思い」をつづり、また臆病で気の弱い人間にかぎってそなえている「残忍なところ」もきちんと見てとっていた。だが知識人たちが眉(まゆ)をひそめているただなかで、あれよあれよというまに総統の独裁体制がととのった。

 「自由とは、自分を正しいとすることではない」(『ブリューニング回顧録』)

 ブリューニングはワイマール共和国末期にドイツ首相として共和国の擁護に死力を尽くした。しかし「目に見える成果を性急に求める」国民に理解されず、政党間の策略と政争に足をとられた。「自由の精神」を述べたとき、まさにそれが根だやしにされる状況を正確に予告していた。

 「大衆の服従は大衆自らの熱狂に基づくものでなければならず、その自由意志から生じなければならなかった」(ゲオルゲ・モッセ『大衆の国民化』)

 そのための宣伝と、大々的な政治祭祀(さいし)。訳書の内容をとりまとめたあと、著者のひとことがはさまれている。「ヒトラー・ナチスに現在も憧憬(どうけい)の残影が存在するのも、ナチズムがドイツ国民の世俗宗教の発展だったからではないか……」

 ヒトラーとナチズムという深い森に分け入るための二十万分の一の地図にあたる。簡潔な解説にそえられた的確な引用が、原寸の迫力をもってせまってくる。他人の本によってみごとに自分の本をつくった。あっぱれな人生の余暇の過ごし方ではないか。

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