close
(水声社・1575円)

 ◇「ありそうで実はない絵画」を楽しむ

 フランスの実験文学集団「ウリポ」の一員として知られるジョルジュ・ペレックが、代表作となる大作『人生 使用法』(一九七八年)を完成させた後に、次に書いたのがこの中篇『美術愛好家の陳列室』(一九七九年)である。

 まず物語を簡単に紹介しよう。一九一三年にピッツバーグで開かれた絵画展に、ドイツ系アメリカ人のハインリッヒ・キュルツが描いた《美術愛好家の陳列室》という作品が出品された。それが事の始まりである。キュルツはヘルマン・ラフケというやはりドイツ系の美術愛好家によって見出され、肖像画を描くようにという注文を受けた。そこでキュルツは、己のコレクションを飾った陳列室で腰かけているラフケの肖像を描いた。それが《美術愛好家の陳列室》という作品なのだ。

 しかし、このどうということはなさそうな作品には、驚くべき仕掛けがあった。その中に描かれている一枚の絵の中に、《美術愛好家の陳列室》そのものが縮小されて描き込まれており、さらにその中には……というふうに、無限に縮小していく絵画の列が認められたのだ。

 しかも凝った仕掛けはそれだけではない。画家はその無限に縮小を積み重ねていく段階で、わざと正確な複製を避け、小さな変化を付け加えていた。そして、その噂を聞きつけた見物客が手にルーペや拡大鏡を持ち、大挙して訪れたために、展覧会は大混乱に陥ったのである。これが物語の出だしだ。

 この一枚の絵をめぐっての、波乱に富んだ展開を読者は期待するかもしれない。ところが、物語はそうは進まない。結末になって、秘められていたある事実がようやく明かされるまで、ペレックは淡々と絵画の記述を続ける。《美術愛好家の陳列室》に描き込まれた絵の数々、ラフケの死後オークションにかけられた蒐集(しゅうしゅう)品の数々、キュルツの遺したわずかな数の作品が、まるで静物画を描くような筆致で次々と描写されていくだけなのである。

 そうやって記述される百以上もの絵画は、キュルツが描き込んだように、ほとんどが現実にある絵画を正確に描写したものではなく、微妙な変化を伴った巧妙な偽物である。そこでわたしも、ルーペを手にした物好きな見物客になったつもりで、次の一枚の絵をためしにのぞきこんでみよう。

 「《田舎道をゆく三人の男》を描いたアウグスト・マッケは、すでに死後十年になろうとするのに、故国ではまったくといってよいほど知られていなかったため(ラフケがマッケからこの絵を買ったのは、一九〇八年、ベルリンにあるロヴィス・コリントのアトリエで画家が働いている時であった)、《三人の男》は七五ドルで売り出され、八三ドルで競り落とされた」

 まず、アウグスト・マッケとロヴィス・コリントはいずれも実在する画家であり、それぞれドイツ表現主義およびドイツ印象派に属する。そしてマッケが一九〇八年にベルリンでコリントのアトリエに通っていたというのも史実だ。それでは、この記述のどこに虚構がひそんでいるかと言えば、マッケ作の《田舎道をゆく三人の男》という絵がおそらく実在しない点だろう。その代わりに、わたしたちが知っているのは、ドイツの肖像写真家として有名なアウグスト・ザンダーが撮った《舞踏会へ向かう三人の農夫》という写真の存在だ(アメリカの現代小説家リチャード・パワーズが、ボストン美術館でこの写真を見て強烈な印象を受け、同名の長篇小説を書いてデビューしたことは日本でもよく知られている)。写真が絵画に化けて貼り込まれているのは、アウグストつながりという言葉遊びが大きな要因だろうが、ザンダーが《舞踏会へ向かう三人の農夫》を撮ったのは一九一四年ごろで、それはマッケが第一次大戦で戦死した年でもあり、この小説でキーになっている時期に重なるところも見逃せない。

 それはともかく、ザンダーのモノクロ写真が、色彩あざやかなマッケの絵画に変身しているのが楽しい。ペレックが記述するだけで、ありそうで実はない絵画が、わたしたちの夢想の中でかりそめの存在を与えられる。それがなによりも楽しい。

 これはほんの一例にすぎないが、『美術愛好家の陳列室』の読者が感じるのは、心地よい自由である。それは、一枚の絵を目の前にしたときの自由さとよく似ている。わたしたちは、その絵を十分ほど眺めて、おもしろくないやと次に移ってもかまわない。あるいは、その絵の中に描き込まれている無数の小さな絵に心奪われ、何時間も飽きずに眺めていてもかまわない。どうぞお好きなように。そう思いながら、絵の作者であるペレックは、あるいは陳列室の管理人であるペレックは、そしらぬ顔で見物客の中に紛れ込んでいる。(塩塚秀一郎・訳)

arrow
arrow
    全站熱搜
    創作者介紹
    創作者 murasakia 的頭像
    murasakia

    murasakia

    murasakia 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()