(講談社・2625円)
◇手切れ金はタンバリンだった
小林秀雄をめぐる短篇「危うい記憶」が素晴らしい。随筆的作品と言ってもいいが、はるか昔の記憶にもかかわらずきわめて的確な事物の描写と、読者を小林秀雄の心情へとすっと入り込ませるその手際はあくまでも小説家のそれであって、やはり短篇小説と言いたくなる。
小林秀雄が中原中也から長谷川泰子を奪って同棲し、ほぼ三年間転居を繰り返したあげく、やがて泰子のもとを逃げ出すように出奔、奈良の志賀直哉のもとに身を寄せた話は有名である。昭和三(一九二八)年のことだ。高見沢潤子が『兄・小林秀雄』に克明に書いているが、泰子は精神を病んでいたというほかなく、三年ものあいだよくも耐えたものだと感心するほどだが、「危うい記憶」はその奈良へ出奔する小林秀雄の話から始まる。
奈良の小林秀雄のもとに泰子から手紙が届く。「別れては差し上げましょう。その代りにタンバリンを私あてにお贈り願いたい」というものである。スペイン舞踊をやりたいのだという。手切れ金としては安いものだが、身一つで逃げてきたのである、結局、志賀直哉に代金を出してもらうほかなかった。さて、その泰子が大阪で舞踊公演をやることになった。チケットが送られてきて見に行くが、むろん素人に毛の生えたようなもの、はらはらのしどおしだったが、それでも終わって出てくると、後ろから「小林君!」と呼び止められて、振り向くと、「そこに志賀さんの複雑な笑い顔があった」というのである。
まるで『小説・小林秀雄』である。こんなふうに小林秀雄の奈良時代を描いたものはこれまでなかった。文章はさらに、「大阪の道頓堀をうろついてゐた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った」という『モオツァルト』の名高い一節を引用、この体験はそのときのことに違いないとし、いつのまにか主語が「私」から「僕」に転じ「おれ」に転じて、要するに著者が小林秀雄になってしまう。そうしてほとんどその勢いのまま、酔った小林秀雄が猿沢池でボートから転落してしまう情景へと至るのである。
前半の山場だが、小林秀雄からじかに聞いた話をはじめ、自身の体験が織り交ぜられているのでさすがに臨場感がある。
とはいえ、「危うい記憶」が鮮烈なのはむしろ後半で、一九六三年、著者が、小林秀雄、佐々木基一と一緒にソ連旅行をしたときの記憶へと移ってからである。小林秀雄の方向オンチや忘れ物のエピソードがひとしきり披露された後に、そういえば小林さんは「ロシア国境のすぐ傍までは、昭和十三年の晩秋に出かけておられる」と続き、著者自身の満州での軍隊体験が記憶として語られてゆく。つまり、昭和十四年に発表された小林秀雄の文章「満洲の印象」を、小林秀雄とのソ連旅行や、著者自身の満州体験を傍らにおいて読み直してゆくことになるわけだが、文章の陰影が増すこと夥(おびただ)しい。小林秀雄は右翼ではない。国策批判の激情をぐっと抑えるその呼吸にこそ「満洲の印象」の核心があったのだと思わせられる。いや、思想とはぐっと抑えるその力のことではないかとさえ思わせられる。
満蒙開拓青少年義勇隊の描写は、小林秀雄にあっても著者にあっても痛々しいが、胸を打つのは肉体的な痛々しさの背後の精神的な痛々しさである。「未来の夢を満載した」環境に置かれた少年たちの運命は、いまもたとえば自爆テロという名で続いている。
読みやすく、かつ深く考えさせる佳品である。夏目漱石をめぐる短篇「カーライルの家」を併載。
毎日新聞 2007年1月28日 東京朝刊
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/01/20070128ddm015070112000c.html