◇『シェイクスピアの驚異の成功物語』
(白水社・4410円)
◇『ハムレット』の作者は隠れカトリック?
翻訳書には「日本語版への序」というのがよくある。詰まらないものばかりで、目を通さぬことにしているが(これは役に立つ読書訓かもしれない)、しかしこの本の場合は別。中身があって芸が光る。才気煥発の著者といきなりわかる。
本文はその上をゆく。汗牛充棟のシェイクスピア関係資料を読み抜き、さらにジョイスの『ユリシーズ』やバージェスの『太陽とは大違い』のような彼の伝記を扱った小説にも刺戟(しげき)を受けて、実証性と想像力の両方から攻め立て、花やかな仮説を立てる。とりわけ、イギリス・ルネサンスの具体的な社会に詩人=劇作家の人生を位置づけて、仔細に検討する手法がすばらしい。
変動の時代だった。中世がまだ残り、近代が出来あがろうとしてもがいている。宗教改革と反宗教改革のせめぎあい、イギリスの国教会とローマ・カトリック教会の対立。そういう思潮の渦のなかにエリザベス女王とジェイムズ一世の統治、田舎の手袋製造業者ジョン・シェイクスピアとその家族(息子は稀代の文才の持主だが、家が貧しくて大学へ進めない)を置き、公的なもの私的なものの両面に目を配って巨大な壁画を描き出す。壮大な構図とたくましい筆力に舌を巻いた。
たとえば『ハムレット』論。あの戯曲(一六〇一年執筆)はシェイクスピアの作家的生涯における大きな断層を形づくる。それまで約二十一本の戯曲と二篇の長詩で使わなかった言葉が六〇〇もあるし、そのうちのたいていは、英語の書き言葉としても新しい。彼の人生に何かショックがあったのだ。
グリーンブラットはそれを公私双方から探る。まずエセックス伯の反乱と処刑(一六〇一)、サウサンプトン伯(シェイクスピアのパトロンであり、友人であり、恋人だったかもしれぬ)の投獄。彼の敵であり、シェイクスピアに悪意をいだく第七代コバム卿の宮内大臣(劇の認可権を持つ)への任命。そして私的には父の死(一六〇一)と息子ハムネットの死(一五九六)。二人の死は、どうやら父と同じく隠れカトリックであったらしい詩人=劇作家の心をしたたかゆすぶった。この作品の「爆発的な力と内向性」はこれに由来する。
ところでプロテスタントは煉獄(れんごく)(天国と地獄のあいだにあり、死者の霊魂が天国にはいる前に火によって罪を浄化する場所)は嘘だとして否定し、必要なのはただキリストの救済力を信じることだけだとした。そこで古風な信者は死後、長く(ある学者の計算によると二〇〇〇年)煉獄で過さねばならぬと恐れ、それをまぬかれようとして、正式なカトリックの最期の儀式(懺悔(ざんげ)、終油、聖体拝領)にあこがれていた。そう言えば妹オフィーリアの墓場でレアーティーズは、「儀式はこれだけか」と叫ぶ。シェイクスピアは人生の危機に際会したせいで、死んだ息子ハムネットによく似た名前の王子にちなむ伝説を扱うとき、カトリック教会の昔ながらのやり方でやわらげられたはずの苦しみや恐怖と闘っている同時代人たち(人口のほとんど大部分)の苦悩を代弁することになった。
十八世紀のある伝記作者は、役者としてのシェイクスピアについて調べたあげく、彼の最高の演技は『ハムレット』の亡霊の役、という結論を得た。よく聴いてくれと生きている者に哀願する煉獄の霊は、一時代の悲劇性を代表していたのである。とりわけ聞かせたのは「聖餐(せいさん)、塗油も心の準備も、懺悔もせずに」という台詞(せりふ)だったのではないか。
訳文はエネルギーに富む。(河合祥一郎・訳)
毎日新聞 2006年9月24日 東京朝刊
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2006/09/20060924ddm015070155000c.html