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◇『尖塔--ザ・スパイア』 

 (開文社出版・1890円)電話03・3358・6288


 ◇建築にかかわった神父らの物語


 ストーンヘンジというのは、日本ではピラミッドと同じくらいに有名なので、どこの国にある何だという説明などまったく不要だろう。ともかく英国南部にあるこの有名な古代の巨石の遺跡の近くに、一三世紀に建造されたやはり有名なソールズベリ大聖堂がある。一二三メートルの高さの尖塔をもつ有名な観光名所でもある。

 こんな観光案内から始めたのは、ゴールディングの小説『尖塔』がまさしくその実在する尖塔の建築をモデルにしているからだ。別に大した理由があったわけでもないかもしれない。なにしろ彼はこの大聖堂のすぐそばの学校で二〇年近くも教師をしていて、毎日それをながめていたわけだから。


 問題は、この小説がどのような性格のものになったのかということ。時代的には、イングランドはまだカトリックの支配下にあった--となれば、宗教と政治権力の対立を大枠にして、そこに恋愛ドラマを絡ませるとか。古代の宗教とカトリックの対立、外敵の侵入などによってプロットの枠組を作り、そこに信仰と愛を絡ませるとか--いずれも外れである。『尖塔』は単純な歴史小説などではない。ノーベル文学賞も受賞するほどの小説家ゴールディングの構想力はそんななまやさしいものではなかった。


 読み始めたときの印象は、これはイギリス産のヌーヴォー・ロマンか、と言っていいくらいのものだ。しかもそこに、「おととい連中は人を一人殺しましたよ」、「そのうち連中はあたしを殺します」といった科白(せりふ)までちりばめられている。とても読み流しのできるような作品ではない。ゆっくりと楽しむに値する文学作品だ。「もう一度まばたいて、すぐ間近なところで一つ一つの埃(ほこり)の粒が、そよ風にあおられたウスバカゲロウさながらに、互いに身をかわしたり一緒に宙をはねたりするさまを見つめた」。たとえ本筋には関係がなくとも、文章そのものに魅了されだすと、もうたまらなくなる。「首がズキズキ痛むのもかまわず、花畑を駆け抜ける子どものように有頂天になって立ち続け、ついには広がりゆく空の断片がぼやけ、きらめき落ちる滝となった」


 『尖塔』は政治抗争や宗教対立とは無縁である。それは、尖塔の建築を推進した聖堂参事会長をつとめる神父と、彼にしばしば反発しながらも建築にかかわる職人たちの物語である。百メートルを越える尖塔をいかにして作ってゆくのか。にわかには信じがたいかもしれないが、この小説はそのときの技術的なプロセス、苦労、心理を描いてゆく。言ってみれば建築小説なのである。


 空にのびてゆく尖塔を内側から見上げる神父、半ば完成した塔から周囲の風景を見渡す神父、そして尖塔の最後の仕上げを前にしての職人たちの不安。離脱。尖塔の上部から下を見おろすときの、あたかも地獄をのぞき見るかのような恐怖。完成を心待ちにしながらも、天使と悪魔の両方にとりつかれているように感ずる神父。こんな設定の小説は他には例がないだろう。


 もちろん作者としてはハッピーエンドの結末をもってくるわけにはいかなかったろう。ジョスリン神父は死を前にして、「私は建物で、その中に巨大な地下室があり、鼠(ねずみ)がうようよ生きている」と述懐するにいたる。偉大な仕事をしているつもりが、破壊と憎悪を生みだしただけだったと後悔もする。しかし読者は、作者のそのような表面的な身振りにもかかわらず、彼のことを記憶しつづけるはずである。(宮原一成、吉田徹夫・訳)


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