◇『ビューティー・サロンの社会学--ジェンダー・文化・快楽』
(新曜社・2940円)
◇美容ビジネスの遺産が作家を支えた
最初にことわっておくべきかもしれないが、エステとかビューティー・サロンなるものに対する関心は、私の場合、ゼロである。皆無、絶無、からっきし無い。「世間は、『ただ爪(つめ)にマニキュア塗ったり、マッサージしたり……ただそれだけの仕事』と見てるのよね。男性はちょっと風俗っぽいと思うようだし」というセラピストの声が本文中に引用されているが、私などは間違いなくそのような「世間」のひとりということになるのだろう。まあ、どうでもいいけれども。但(ただ)し、私の場合、そんな材料であっても、本になれば別。本になれば読むし、書評する。
実際に、面白い本である。使われているのは、イギリスの中北部の町でインタビューした四〇人ほどのセラピストと客の話を分析した結果と、社会学的な分析。もう少し具体的に言うならば、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの理論と、英米の研究者の仕事を突きあわせて、理論的な考察をするのと併行してデータの分析をするという正統的なものだ。
しかも著者は、問題の性格上、今の時代の現象にとらわれすぎるのを相対化するために、美容ビジネスの歴史の説明に一章をさいている。「二〇世紀に入るか入らない当時のイギリスでは、中流女性にとってさえ美容製品は簡単には手に入らなかった」。つまり、各家庭で自前の化粧品を作ったということ。
一九世紀以降、美容ビジネスの展開を支えたものとして、都市の道路照明の改善、写真の発達、広告産業の拡大などがあると言われれば、なるほどと納得するしかない。二〇世紀の後半のアメリカでは、「アフリカ系アメリカ人を顧客とするビューティー・サロンがコミュニティー・サロンとして公民権運動関連の情報をやりとりする場となり、政治的抵抗を支援し組織する場となっていた」(常識的に言えば、著者はここでドイツの社会学者ハーバーマスを引き合いに出せるはずであるが、それはされていない)。いや、それ以前に、美容ビジネスで百万長者となった黒人女性マダム・C・J・ウォーカーの遺産が、黒人作家ラングストン・ヒューズやゾラ・ニール・ハーストンの活動を支援していたとは……。
「美容産業の発達をたどると、政治、社会、経済、文化の変容の過程が浮かび上がってくる」というのは、その通りであるだろう。著者にはそのような歴史的な眼(まなこ)と、もうひとつ、現代の女性を見つめる構造論的な眼がある。「私はアイデンティティや経歴を個人的なものとして取り上げるつもりはない。女性は、階級、年齢、人種、ジェンダー、およびセクシュアリティの布置によって関係性と可能性の網目の中に置かれており」、そのような網目の中で生きてゆくのだとする。著者はそのような二つの眼を組み合わせて、ビューティー・サロンで働く人々やそこを訪れる客たちの証言を読んでゆくことになる。
例えば、女性たちはいつ、どんなキッカケでサロンに通い始めるのか(通い始めの決断をするのはけっこう大変らしい)。その目的は何なのか(これが、それなりに多様らしい)。もう一方のセラピストには何が求められているのか(ボディのケアの他に、会話によるセラピーも重要な要件らしい)。セラピストに必要な技術、訓練、資格とは何なのか。その給料はいいのか、そうではないのか。労働時間は? つまるところ、ビューティー・サロンは健康のためになるのか。話題満載の本である。(鈴木眞理子・訳)