◇『二十世紀フランス小説』=ドミニク・ラバテ著
(白水社・文庫クセジュ・1103円)
◇『ヨーロッパは書く』=ウルズラ・ケラー、イルマ・ラクーザ編
(鳥影社・3045円)
◇『二十世紀フランス小説』=ドミニク・ラバテ著
(白水社・文庫クセジュ・1103円)
(鳥影社・3045円)
◇『ルイ十六世 上・下』
(中央公論新社・各3990円)
三年前、パリ行きの飛行機で『パリ・マッチ』を開いたら、与党と野党の大物政治家がともに「ヴァカンス中に読んで面白かった本」の筆頭に本書を挙げていた。
著者のプティフィスによれば、ルイ十六世は愚鈍どころか、むしろ英邁(えいまい)といえる君主であったという。これは意外である。というのも、かなりの歴史好きでもルイ十六世について抱いているイメージはロクなものではないからだ。すなわち、フランス革命が勃発(ぼっぱつ)した七月十四日の日記に「(狩りの獲物は)なにもなかった」とだけ記すような政治的音痴、マリー・アントワネットから「可哀そうな男」と馬鹿にされた(性的にも)ダメな夫、部屋に籠(こ)もって錠前作りと鍛冶(かじ)仕事に精出すオタク。ようするに善良ではあるが、それ以外には何の取り柄もない存在感の薄い王というイメージで、歴史書も小説もみなこの線でルイ十六世を扱ってきた。
◇『フロイトのイタリア--旅・芸術・精神分析』
(平凡社・3990円)
フロイトはイタリアが大好きで、生涯に二十数回もこの国へ旅行した。彼の思想および精神分析理論の形成には、このイタリア好きが大きくかかわっている。一八九七年、旅に出る直前に友達に出した手紙にこうある。
僕の心のなかは発酵していますが、僕は何も仕上げていません。心理学には大いに満足しています。神経症学では重大な疑惑に苦しめられ、考えるのがたいへん億劫(おっくう)になっています。そして、ここでは、頭のなかと感情のなかの動揺を鎮めることをなし遂げていません。そのためにはまずイタリアが必要です(、、、、、、、、、、、)。
◇『ビューティー・サロンの社会学--ジェンダー・文化・快楽』
(新曜社・2940円)
最初にことわっておくべきかもしれないが、エステとかビューティー・サロンなるものに対する関心は、私の場合、ゼロである。皆無、絶無、からっきし無い。「世間は、『ただ爪(つめ)にマニキュア塗ったり、マッサージしたり……ただそれだけの仕事』と見てるのよね。男性はちょっと風俗っぽいと思うようだし」というセラピストの声が本文中に引用されているが、私などは間違いなくそのような「世間」のひとりということになるのだろう。まあ、どうでもいいけれども。但(ただ)し、私の場合、そんな材料であっても、本になれば別。本になれば読むし、書評する。
実際に、面白い本である。使われているのは、イギリスの中北部の町でインタビューした四〇人ほどのセラピストと客の話を分析した結果と、社会学的な分析。もう少し具体的に言うならば、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの理論と、英米の研究者の仕事を突きあわせて、理論的な考察をするのと併行してデータの分析をするという正統的なものだ。
(ホーム社/集英社・2730円)
厚ぼったい本である。やさしく繊細な小説であり、きわめて美しい小説でもある。完成されていると私は思う。美しく歪(ゆが)んだまま完成されている、と。『夜はやさし』というこの一冊の長編小説が、傑作である理由はたぶんそこにある。歪んだままというところ。なぜならそれは、人が、あるいは物語が持つ、天然の歪みだからだ。美しいに決まっている。本来、小説のなかには収まらないはずのものなのだ。
F・S・フィッツジェラルドが、プルーストの『失われた時を求めて』を読み始めた妻のゼルダに、その本を読むなら一度に三頁(ページ)以上読んではいけない、と忠告したというのは有名な話だけれど、『夜はやさし』も、できればゆっくり読むほうがいい。この小説の主役の一つはまちがいなく時間だからで、やさしくもあり残酷でもあり、控え目でもあり強引でもある時間を、感じとるには時間がかかる。
物語はこんなふうに始まる。「美しい海岸が続くフレンチ・リヴィエラの、マルセイユとイタリア国境のほぼ中間あたりに、堂々たる外観の大きなバラ色のホテルがある」。そのホテルで、ある母娘、ある夫妻を中心に、まず人々が出会う。観察やらかけひきやら、水遊びやらパーティやら、口論やら小旅行やら決闘やらがくりひろげられる。この第一部の多幸感(登場人物たちのではない。惜しげもなく読者に与えられる、多幸感)はすばらしい。文章によってのみ出現する日ざし、にぎやかさ、人々の魅力、そしてとどめおくことのできない一瞬一瞬。『夜はやさし』は、まさにその一瞬一瞬を--とどめおくことができないはずなのに--とどめ得てしまった小説なのだ。
十八世紀好きの一族がいる。たとえばイギリスのブリジッド・ブローフィ。彼女はリスボンを論じてこんなことを言う。「もしも地震がなければならないなら、一七五五年が絶好の年だ。再建するとき、花ざかりの十八世紀都市が手にはいる。それが起ったのがリスボン」。この作家は『劇作家モーツァルト』(一九六四)の書き出しでこう述べる。「わたしたちの世紀の誇りはモーツァルトを認めたことだけだ」
熱烈なそして才能の豊かなモーツァルティアン岡田暁生(あけお)が、十八世紀の子としてのモーツァルトに注目するのは当然のことだ。「一七五六年に生まれ、一七九一年に没した彼が生きたのは、カントやゲーテやシラーに象徴される新しい市民社会の夜明けが、ラクロやゴヤやサドといった旧体制(アンシャン・レジーム)末期の暗黒や官能とせめぎあっていた時代だった」という具合に。彼は十九世紀の作曲家のように世界の救済者を自負して形而上学を論じたりはしなかったけれど、彼の「軽やかさには、引き裂かれた時代の割れ目が刻印されていて、その幸福も、官能も、優美も、絶望も、すべてこの割れ目から鳴り響いてくる」と。そこで岡田は、エロティシズムという切り口からモーツァルトを、特に彼のオペラを考えてゆく。
モーツァルト以前のバロック・オペラは主流がオペラ・セリアで、(1)対立の不在(主役を歌うのはカストラートとソプラノで、声域の点で男と女の区別があまりない)、(2)出会いの不在(ほとんど一人で舞台に登場し、一人でアリアを歌い、一人で退場する。対話はレチタティーヴォすなわち歌うより語るほうに重きを置く唱法でかわされるだけ)、(3)感情の多義性の不在(喜怒哀楽は幾何学的なくらい記号化されている)を作劇術の基調とする。感情の表現は紋切り型で、起伏が乏しかった。十七世紀は幾何学的な堅い心性の時代であったが、それと呼応するように、十八世紀までのヨーロッパでは恋愛結婚は習俗として確立していなかった。
以前、夏目漱石がフランス文学をどう評価しているか気になって調べたことがある。総じて点が辛い中、モーパッサンの『ピエールとジャン』だけは例外的に激賛されていた。『ピエールとジャン』とはこんな物語だ。母親の愛が弟のジャンに片寄っているため偏屈な性格になった兄のピエールは美しい未亡人に恋しているが、未亡人はジャンを愛しているので嫉妬(しっと)に苦しむ。あるときジャンに未知の男から莫大(ばくだい)な遺産がころがりこんだことから、ピエールは弟が母親の不義の子である事実をつきとめ、自分が愛されなかった理由を知る。母親への愛と憎しみ、弟への嫉妬、そして、それらを克服できない自分への嫌悪感。こうした感情に悩み抜いたピエールは太平洋航路の船医になって家庭を去っていく。
フランス文学畑の人間からみると『ピエールとジャン』は佳作だが、漱石の言うほどの大傑作ではない。ために、どうして漱石がそれほどこの作品にほれ込んだのかいまひとつ理由がわからなかったが、本書を一読して疑問は氷解した。ピエールとは漱石自身であり、「母に愛されなかった子」ピエールの懊悩(おうのう)は漱石の懊悩そのものだったのである。
著者によれば「母に愛されなかった子」漱石というテーゼを証明するには『坊っちゃん』一つで足りるという。げんに坊っちゃんは、おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった、母は兄ばかりを贔屓(ひいき)にしていたと語る。坊っちゃんに仮託した漱石の母親への心の屈折が明らかになるのはその死に際してのエピソードである。母が病気で死ぬ二、三日前、坊っちゃんは台所で宙返りして肋骨(ろっこつ)を打ち、母から叱(しか)られ、おまえのようなものの顔は見たくないと言われる。母親の言葉は怒りの強さを示すレトリックなのだが、坊っちゃんはこれを字義どおりに受け取り、じゃあ、消えてやるよと、親戚(しんせき)の家に泊まりにいって親の死に目に会えずに終わる。
子どもの出生にまつわる重大な秘密を鍵として、その秘密に翻弄(ほんろう)されながら、それぞれの運命を生きる一人一人のドラマが交錯する。各章を短篇小説のように濃(こま)やかに描きつつ、時間軸に沿った本流のストーリーを重層的に展開してゆく。これは『源氏物語』のスタイルと似ている。
罪、偽り、愛と孤独、悲しみといたわり、さらに自然と人生の季節。両者に共通するテーマは多くあるが、おそらく最大の共通テーマは、「時間」であろう。小説『メモリー・キーパーの娘』には、二十五年の歳月が流れている。各章のストーリーを「二十五年という長い年月に編みこんでいくことによって、大河のごとく大きくうねる骨太でダイナミックな物語を生みだした」と、訳者は記す。また、「“物語を味わうこと”は時間の流れを評価することにほかならないと感じた」とも。「時間」は何を持ち去り、そして何をもたらすのか。
一九六四年のある大雪の夜、医師デイヴィッドと妻ノラに男女の双子が誕生する。女の子はダウン症だった。妻を悲しませたくないため、彼はとっさに娘を施設に預けてほしいと看護師キャロラインに頼み、妻には死産だと告げた。しかしキャロラインは、その子フィービをみずから育てる決心をして、レキシントンからピッツバーグへ移る。
(岩波新書・735円)
『ロミオとジュリエット』は有名な恋の悲話だが、冒頭にコーラスと呼ばれるおかしな人物が登場する。進行係、あるいは解説係とでもいうべき人物で、これが芝居の粗筋をあらかじめ観客に知らせてしまうのである。
おかげで観客は若い恋人の浮沈に同情するだけではなく、すでにわかっている宿命にもてあそばれる姿を、いわば高所から見下ろすことになる。運命に抗(あらが)う人間に痛切な共感を覚えながら、同時に距離を置いて、その無意味さを知的に眺めることを求められる。
そういえばシェイクスピアにはギリシャ悲劇のような、アリストテレスが『詩学』で定義したような古典的な悲劇は一本もない。どの場合も主人公は開幕冒頭に登場せず、脇役が先に現れて主人公の行く末をある程度まで予告する。いわば観客は作者と共謀の関係に立って、状況を知らない主人公の悪戦苦闘を半ば突き放して見ることになるのである。
◇日常の物語に潜ませた技巧の数々
長篇小説『石蹴り遊び』で知られるフリオ・コルタサルは、長篇の他にも生涯に九冊の作品集、総計にして百を超える数の短篇を書き、独得の作風を持った幻想短篇作家としても定評がある。このたび邦訳された『愛しのグレンダ』は、一九八〇年に出たもので、八冊目の短篇集に当たり、収録されている十篇の短篇は、いずれもコルタサルの個性が存分に発揮された作品揃(ぞろ)いである。
コルタサルの作風を説明するには、同じラ・プラタ地域の幻想短篇作家としてしばしば並び称される、ホルヘ・ルイス・ボルヘスと比較してみるのがいいだろう。ボルヘスの短篇は、どれを読んでも淡々とした語りのトーンが一定していて、むしろ一本調子と言ってもいいくらいで、そこに技巧が凝らされることは少ない。ところが、それに対してコルタサルの短篇は、語りの技巧の博覧会とでも言えそうなほど、一作一作が凝りに凝っていて、同じ手は二度と使わないと決めていたのではないかと想像してみたくなる。その傾向はこの『愛しのグレンダ』にも顕著で、複数の視点の切り替えや、多声によるコンポジションといった、コルタサル得意の手法がうかがえる。たとえば、後者の見本としては、バッハの有名な『音楽のささげもの』をもとにして、八人の登場人物が八つの楽器を象徴し、物語の進行が楽章の展開をなぞるという構成を取った短篇「クローン」が挙げられるだろう。
もっとも、こう書くと、難しそうな実験小説かと受け取られるかもしれないが、実はそうではない。なるほどたしかに、コルタサルの短篇は、いささか粘着質で趣向に富んだ語り口のゆえに、読者にある程度の注意力を要求する。しかし、コルタサルの小説技巧は、彼自身の言葉を借りれば、あくまでも「深いところにはりめぐらした蜘蛛(くも)の巣」である。そして、彼がつねに描くのは、遊戯的な実験性とは縁遠いように見える、欲望、情熱、復讐(ふくしゅう)、暴力、殺人、姦通(かんつう)、背信、狂気といった、わたしたちになじみが深い卑俗で日常的な物語なのだ。おそらく、コルタサルとボルヘスの決定的な違いはそこにあるだろう。哲学的なエッセイかと見紛(みまが)うボルヘスの短篇には、ひんやりとした手ざわりがある。それに対して、コルタサルの短篇にはいわば赤々とした血が流れているのだ。
◇今に変わらぬ社会を映す傑作ドタバタ劇
来年はダーウィンの生誕二〇〇年になるので、世界の各地であれやこれやと賑(にぎ)やかなことになると思われる。それと直接の関係はないかもしれないが、昨年はゴルドーニの生誕三〇〇年にあたった。それに便乗するかたちで刊行されたのが、この『ゴルドーニ喜劇集』。彼の手になる喜劇九本の翻訳であるが、上下二段組で約六五〇頁(ページ)ある。これだけ部厚い本になると、私などわけもなく嬉(うれ)しくなってしまって、書評することにした。
しかし、それはそれとして、彼は何者なのだろうか。晩年は、ルイ一六世の妹のイタリア語の家庭教師としてヴェルサイユで暮らしていたものの、そこにフランス革命が勃発(ぼっぱつ)し、年金を打ち切られ、極貧のうちに世を去った。一七九三年一月六日のこと。若い頃(ころ)はヴェネチアで弁護士をつとめていたが、のちに座付きの劇作家に転向し、ときには一年に一六本も書いたりした。要するに、一八世紀の西欧文学を代表する喜劇作家ということである。
それにしてもあきれるのは、喜劇や悲劇、歴史劇やロマンス劇と、時期に応じて書き分けながらというのならともかく、これだけ一貫してコメディばかりを書きまくるとなると、それだけで感動してしまう。しかも、傑作だらけなのだ。
誰もが知っている『ティファニーで朝食を』の、村上春樹による新訳である。それだけでもわくわくする。そして、期待にたがわない見事なできばえだ。半世紀前にアメリカで出版された作品が、装いも新たによみがえった。従来の訳との味わいの違いは歴然としていて、着物を着ていた女性がドレスにお色直しして颯爽(さっそう)と登場したような感じさえ受ける。
村上春樹は小説家であるだけでなく、同時に翻訳家でもあり、仕事の時間のかなりの部分を翻訳に割いている。これは彼ほど有名な作家の場合、異例のことで、世界的にも類を見ない。たいていの作家はいったん地位を確立すると創作に専念し、翻訳などという「二次的」な仕事に携わるヒマはなくなるからだ。しかし、村上春樹の場合、翻訳は決して副業というようなものではない。
最近、サリンジャー、チャンドラーといった「現代の古典」の新訳に意欲を見せる村上春樹が今回、取り組んだのはカポーティの名作だ。オードリー・ヘップバーン主演の映画(原作とはかなり違う)のほうがよく知られているが、原作の翻訳も古くから存在し、多くの読者に読み継がれてきた。龍口(たつのくち)直太郎による訳が新潮社から最初に出たのは、原作の出版のわずか二年後、一九六〇年のことで、この龍口訳は新潮文庫で七四刷にまで達した。